カント『法論』#9(道徳の形而上学一般の区別)
序文
道徳の形而上学への序論
法論の形而上学への序論
§A 法論とは何か
§B 法とは何か
§C 法の普遍的原理
§D 権利は強制する権能と結びついている
§E 厳格法は、普遍的法則にしたがった…
法論への序論の補足:両義的な権利(Ius aequivocum)
法論の区分道徳の形而上学一般の区別
第1部 私法:外的な私のもの・あなたのもの一般について
第2部 公法
道徳の形而上学一般の区分
Ⅰ. あらゆる義務は法義務(officia iuris)、つまり外的立法が可能な義務か、外的立法が可能ではない徳義務(officia virtus s. ethica)かのいずれかである。しかし後者が外的立法を受け付けることができないのは、それが同時に義務である目的(あるいはそれを目的にすることが義務となる目的)に関わるからである。ところで、目的を設定するということは外的な立法によっては可能ではない(というのも、それは心の内的な作用だからだ)。ただし、主体がその行為を自らの目的としなくても、それを達成するような外的行為が命じられていることはある。
ところで、なぜ倫理学(道徳)は通常(特にキケロによって)義務論と呼ばれ、権利論と呼ばれないのか。一方は他方に関係しているというのに、それはなぜなのか。その理由はこうである。我々は(あらゆる道徳法則が、それゆえまたあらゆる権利と義務とが由来するところの)自分自身の自由を、ただ道徳的命法を通してのみ認識する 。道徳的命法は義務を命じる命題であり、そこからそのあとで他者を義務付ける能力が、つまり権利の概念が展開されうるのである。
Ⅱ. 義務論において人間は、まったく超感性的な自由の能力という性質に関して、したがって単にその人間性のみに関して、自然的な規定から独立した人格性(叡智的人間homo noumenon)として表象されうるし表象されなければならない。これは同じ人間を自然的な規定を伴う主体として、つまり人間(現象的人間homo phaenomenon)として表象するのとは区別される。それゆえ、権利と目的はこの二重の性質において再び義務と関連付けられ、次のような区分が与えられることになる。【240】
【241】
Ⅲ. 主体に関して義務に対する権利の関係(許されたものか許されていないものか)が考えられるが、諸主体は様々な関係性を取りうるので、この観点から〔道徳の形而上学〕を区分することもできるだろう。
主体に関する、義務づけられる者と義務づける者の関係による区分 |
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1. 権利も義務も持たない存在者に対する人間の法的関係。 ーない。なぜなら、この存在者は我々を拘束することもありえないし、我々がこの存在者によって拘束されることもありえない、理性を欠いた存在者だからである。 |
2. 権利も義務も持つ存在者に対する人間の法的関係。 ーある。なぜなら、これは人間と人間の関係性だからである。 |
3. 義務だけを持ち権利を持たない存在者に対する人間の法的関係。 ーない。なぜなら、それがあるとすれば、人格性を持たない人間になってしまうからである(農奴、奴隷)。 |
4. 権利だけを持ち義務を持たない存在者(神)に対する人間の法的関係。 ーない。つまり、それは可能な経験の対象ではないため、単なる哲学には存在しない。 |
結局、2番目のところにしか、権利と義務の実在的な関係は存在しない。4番目のところに見出されない理由は、こうである。〔4番目のところに実在的な関係が見いだされるなら〕それは超越的な義務、つまり、外的な義務付けの主体がそれと対応するように与えられることのない義務になってしまうだろう。それゆえ4番目の権利と義務の関係は、理論的観点からすれば、単に観念的である。すなわちそれは思考対象に対する関係であって、それはしかし我々が自らに全く空虚な概念を通してもたらしたものではなく、自分自身に関して、また内的な倫理性の格率に関して、それゆえ実践的な内的観点からすれば、実りの多い概念を通してもたらしたものである。実際、我々のまったく内在的な(実行可能な)義務はこの単に思考されただけの関係性にのみ存するのである。
義務一般の体系としての道徳の区分
その他、学問的な倫理学の質料だけでなく建築術としての形式を含む区分のすべて。形而上学的定礎はこのために普遍的な諸原理をあますところなく探しだした。
【242】*1
自然法の上のような区分は(これまでなされたのとは違って)、自然法と社会法に区分されるのではなく、自然法と市民法に区分されなければならない。第一は私法、第二は公法と呼ばれる。というのも、自然状態に対置されるのは社会状態ではなく、市民状態だからである。自然状態においても社会は十二分に存在しうるが、(公的な法律によって私のものとあなたのものを保障する)市民状態だけは存在しない。それゆえ、〔公的な法律として周知される必要のない〕前者の法は私法と呼ばれる。