カント『法論』#2(全体の序文)

〔『道徳の形而上学』全体への〕序文【205】

  実践理性の批判のあとに道徳の形而上学という体系が続かなければならない。それは(すでに出版された自然学の形而上学的基礎*1と並び立つものとして )法論の形而上学的基礎と徳論の形而上学的基礎に分かれる。この後に続く序論では法論・徳論両方の体系の形式を紹介し、部分的には具体的に述べる。

 法論は倫理学の第一部として、理性から生じる体系を要求するものであり、それは法の形而上学と呼ばれうるものである。しかし、法の概念は純粋ではあるが実践(経験に現れる事例への適用)に根ざした概念であり、法の形而上学的体系は分類上、こうした事例の経験的な多様性をも考慮しなければ分類は不完全なものになるのだが(理性のひとつの体系を打ち立てるためには欠かせない要求である)、しかし経験的なものを完全に分類することは不可能であり、(少なくとも完全性に近づくために)それを試みたところで、様々な概念は体系に統合される部分としてではなく、ただ例として注のなかに入れることしかできない。それゆえ、道徳の形而上学の第一部としての唯一適切な表現は、法論の形而上学的基礎というものになるだろう。様々な事例への適用を考慮していては、形而上学的体系さえも期待できないからである。したがってここでもまた(以前の)自然学の形而上学的基礎と同様に考えて、ア・プリオリに構想された体系に属する法を本文で述べ、他方、特殊な経験的諸事例に関係する様々な法を部分的には長めの注で述べることにする。【206】そうしなければ、ここで形而上学とされるものを経験的な法実践とされるものからはっきり区別することができなくなってしまうからである。

 私は、非常によく非難される曖昧さを避けようと思う。つまり、哲学の論文のなかで深遠な洞察をしているのだと見せかけようとして、わざと不明確に書くということを避けようと思う。しかしそのためには、語の第一の意味での哲学者であるガルヴェ氏*2が、とりわけ哲学をする書き手なら誰でも義務としなければならないと述べていることを進んで受け入れ、修正したり拡張したりするという学問の本性が許す限りで、この要求に従うという条件に制限するしかない。

 この賢明な方が正しくも要求しているように(『論文集』352頁以下*3)、どんな哲学的な学問も、それを唱える人が用いる概念が曖昧ではないかと疑われることがないようにするためには、通俗的にならなければならない(一般に十分伝わるよう、感性で分かるようにしなければならない)。私はもちろんこのことを認めるが、ただし理性能力自体の批判の体系、そしてこの批判が決定することを通してのみ明らかにされうる一切のものは例外である。というのも批判の体系は、我々の認識における感性的なものから、超感性的ではあるけれども理性に認められるものを区別するということに基づいているからである。これは決して通俗的にはなりえないし、正式な形而上学一般もまたそうである。もちろん、形而上学の帰結は(形而上学者の無意識の)健全な理性〔常識〕にとってはまったく明らかにされうるのではあるが。ここでは、一切通俗性(大衆の言葉)には配慮せず、むしろたとえ最悪だと非難されようともスコラ的な厳密さがぜひとも必要なのである(つまりこれは学校の言葉なのである)。それによって、性急な理性はドグマ的な主張をする前に、みずからのことをはじめて理解することができるようになるのだから。

 もっとも、(演説台の上で、あるいは通俗書のなかで)学校にしか相応しくない専門用語で公衆に対して語りかけるというようなことをあえてすれば、ペダンティックになろうが、批判哲学者がそれをしても責められはしないだろう。文法学者が、語釈に執着する人(logodaedalus)のような無分別に陥っていると責められることがないのと同じである。嘲笑されるとしても、それはそのペダンティックな人のせいであり、学問のせいではない。

 「批判哲学が現れる以前には哲学はまったく存在しなかった」と主張するなら、尊大で、身勝手で、学問の古めかしい体系をいまだ諦めきれない人を貶めるように聞こえる。【207】こうした傲慢に見える物言いを非難することができるかどうかは、次の問いにかかっている。すなわち、哲学はひとつ以上ありえるのか。様々なやり方で、哲学をし、幸運にもひとつの体系を打ち立てるために理性の第一原理にたちかえるということがなされてきたし、この種の試みは数多くなされてきたに違いない。それらのうちのどれをとっても現代の哲学に寄与している。しかしにもかかわらず、客観的に見れば、人間の理性はただひとつしか存在しえないのであるから、多くの哲学が存在するということもありえない。つまり、諸々の原理からなる理性の体系はただひとつしか存在することができない。人は様々な仕方で、しかもしばしば矛盾をはらみながら、同一の命題について哲学してきたのではあるが。だからモラリストがこう言うのは正しい。徳はただひとつだけであり、その徳の教えもまたひとつだけである、つまりあらゆる徳義務がただひとつの原理によって結び付けられている体系はまた唯一のものである、と。また、化学者も言う。ただひとつの化学があるだけだ、と(ラボアジェ)。医学者も言う。病理的分類体系のための原理はただひとつしかない、と(ブラウン)。しかし、この新しい体系が他のすべての体系を排除しても、先達の(モラリスト、化学者、医学者の)功績を減じるということはない。こうした人らの発見あるいは失敗した試みがなければ、我々は哲学全体の真の原理をひとつの体系のもとに統一することはできなかっただろうからである。したがって、哲学の体系を自分自身の業績として発表する人は誰でも、「この哲学の前には他のいかなるものもいまだ存在しなかった」とでも言っているのに等しい。というのも、他の(真の)哲学が存在したであろうと認めるのならば、同じ対象をめぐって真の哲学が二通り存在することになってしまうだろう。これは矛盾している。それゆえ、批判哲学が自らの前には一切哲学は存在しなかったと主張して自らを提示するとしても、それはただ、ひとつの哲学を自分自身の計画にしたがって構想している人らがしてきたこと、するであろうこと、まさにせざるをえないことをしているにすぎない。

 まったく意味がないとは言わないが、たいして意味のない批判は、こうである。つまり、批判哲学を本質的に際立たせている部分というのは、しかしそれ固有のものではなく、なにか他の哲学(あるいは数学)から借りてきたものだ、というものである。こうした批判こそテュービンゲンのある書評子の発見であり、曰く、哲学一般の定義に関して、『純粋理性批判』の作者はそれを自身の業績で重要なものだと述べているが、それはすでに何年も前に他の人がほとんど同じ表現で述べていたことらしい*4。【208】「言わば悟性によってなされた構成intellectualis quaedam constructio」という言葉が、ア・プリオリな直観において与えられた概念の描出に関する思惟を生み出すことができるかどうか、それによって同時に哲学が数学からはっきりと区別されるかどうかは、皆さんの判断に委ねたいと思う。ハウゼン自身は彼の表現についてこのように説明されるのを受け入れないだろうと、私は確信している。ア・プリオリな直観が可能であるということや、空間はア・プリオリな直観であり(ヴォルフ が説明するように)経験的直観(知覚)に与えられた多様なものが単に互いの外部に併存しているのではないということ、これらにハウゼンはすっかりおののいてしまったのである。彼はこうしたことによって茫漠たる哲学的探求に巻き込まれてしまっていると感じたのだろう。言わば悟性によってなされる描出というものがこの鋭敏な数学者にとって意味しているのは、ある概念に対応するように(経験的に)線を描くことにすぎない。その際にはただ規則に注意が払われるのだが、しかし線を実際に書くとすればその規則からの逸脱は避けがたいはずなのに、そうした逸脱は度外視される。幾何学で方程式を構成する際にこうした逸脱が知覚されるのと同様である。

 しかし、批判哲学の精神にとって最も意味がないのは、批判哲学の猿真似をする人らが『純粋理性批判』の用語をつかって行った迷惑である。この用語は他の普通の言葉ではうまく置き換えることができないものであるが、彼らは『純粋理性批判』以外のところでそれを思考の公共的な伝達のために用いた。これはもちろん叱責に値するが、例えばニコライ氏*5はそれを行ったのである。その用語はあたかも思考の貧困をいたるところで隠すかのように用いられているが、ただしニコライ氏でも、その本来の領域においてそれがまったく無用かどうかについては判断できないとするにとどめるだろう。とはいえ、無論、非通俗的な衒学者のほうが非批判的な愚者よりも笑われることが多い(実際、自らの体系に執着してどんな論難にも応じない形而上学者は、後者に数え入れられるだろう。ただし彼は流布されたくないものを好き勝手に無視するのだが、それはただその批判が旧来の自分の学派に属するものではないからである)。【209】しかし、シャフツベリーが主張するように、(特に実践的)学問の真理についての、軽んじられるべきではない試金石が、それが嘲笑に耐えうるかどうかということにあるとすれば、いつかは批判哲学者が最後にそして最も高らかに笑う番だということになるに違いない。長い間大口をたたいてきた人らの薄っぺらな体系が次々と崩壊し、その追従者は自分が路頭に迷うのを見ることになる。これがそうした人らの眼前にある避けがたい運命である。

 本書の終盤でいくつかの節は、先行する節と比べて、期待されるよりも詳しく書かれてはいない。一方でそれらは先行する節から容易に推論されうるように私には思われたからであり、他方でまた(公法に関係する)最後のいくつかの節に関しては、今まさに多くの議論がなされており、にもかかわらず重要であるため、当座、決定的な判断を下すのを延期することが正当であるからである。

 徳論の形而上学的基礎は近いうちに公表できると考えている 。

*1:『自然学の形而上学的基礎Metaphysische Anfangsgründe der Naturwissenschaft』は1786年に出版された。

*2:クリスティアン・ガルヴェ(Christian Garve, 1742-1798)はドイツ、ブレスラウ出身の哲学者。大学に属さず、当時隆盛を極めていた『ベルリン月報』などの雑誌を著述の場にし、いわゆる「通俗哲学者Populaarphilosoph」に属していた。イングランドスコットランドの経験哲学や感情哲学を採り入れ、カントの理性中心の議論を批判した。カントも『理論においては正しいが実践には役に立たない、という俗言について』(1795)でガルヴェに再反論している。アリストテレスキケロアダム・スミス、アダム・ファーガソンエドマンド・バークなどの翻訳も行った。

*3:Christian Garve, Vermischte Aufsätze welche einzeln oder in Zeitschriften erschienen sind, neu hr. ung verbessert Aufl, Breslau, 1796.

*4:原注【208】「この著書は実際に構成することをまったく不問にしている。知覚可能な図形は定義の厳密さによってまったく作られることはないからである。むしろ必要とされているのは、形式をなすものについての知識であり、形式は言わば悟性によってなされた構成である。Porro de actuali constructione hic non quaeritur, cum ne possint quidem sensibiles figurae ad rigorem definitionum effingi; sed requiritur cognitio eorum, quibus absolvitur formatio, quae intellectualis quaedam constructio est.」C. A. ハウゼン『数学原理』第1部、86頁、1734年(Christian August Hausen, Elementa matheseos, Leipzig, 1734)。

*5:フリードリヒ・ニコライ(Friedrich Nicolai, 1733-1811)は、ドイツの著述家、出版者。ベルリン啓蒙の中心的人物。カントは何冊かの書物をニコライの会社から出版しており、本書もそのひとつである。カントがここで言及している、批判哲学の用語を「公共的な伝達のために用いた」著作は、おそらく『太った男の物語』(F. Nicolai, Geschichte eines dicken Mannes, worin drey Heurathen und drey Körbe nebst viel Liebe, 2 Bände, Berlin, 1794)のことだろう。これは風刺小説で、カント哲学を学んだ青年が実生活で失敗ばかりを重ねてしまうという筋書きになっている。カントはニコライについて、「出版業について」(1798)でも批判している。